私がピアノを習い始めたのは、保育園の年中の頃。
習う前にすごくピアノに興味を示していたとか、音楽的才能の片鱗に家族が気付いたとか、そんな特別なことは何もなく・・・
ただおもちゃのピアノで楽しく遊ぶ程度だったと思います。
そんな私がピアノを始めたきっかけ、そしてなぜピアノの先生になりたいと思ったのか。
幼いころのことを振り返りながら、お話していきます
練習しないのになぜか好きになってしまったピアノ
昔から習い事の定番として君臨するピアノ。
「女の子なら、一度は通る道」
そんな印象が強い習い事としてのピアノですが、私が始めたきっかけは、自分でもなく親でもなく、近所のお友達と通いやすい環境でした。
お友達と一緒に楽しくスタート
私が通う保育園は、家から徒歩2分ほどの場所。
そこにはアップライトピアノが置いてあり、保育園の閉園日にはピアノレッスン教室として、某音楽教室の先生が来てレッスンをしてくださっていました。
そこへ近所のお友達が通うことになり、私も一緒に始めることに。
それまで、おもちゃの小さなピアノで遊んでいた記憶はうっすらあるのですが、ピアノが家にあったわけでもなく、母も幼いころかじった程度。
まっさらな状態から、ピアノレッスンが始まったわけです。
それから何十年後もピアノを弾いていて、しかも人前で演奏することを仕事にしているなんて、当時の私は知る由もなく・・・
習い始めて楽しさを感じていた私ですが、上手になりたくて一生懸命練習しました、とはいかないわけで
褒められて調子に乗る幼少期の私
今は色々なことに関して要領の非常に悪い自分ですが、習い始めたピアノに関しては、練習しなくても何となくできてしまっていたところがありました。
だから、練習しなかった(笑)
この練習に後ろ向きな姿勢は、のちに大きく後悔することになります・・・
全く練習しなかったわけではもちろんありません。
でも、音符を読むことに苦労するわけでもなく、両手奏も割とすんなりできてしまった方。
合格をもらえて順調に進むことがうれしくて、先生が優しすぎたのもあって調子に乗ってしまっていたんです。
「私、ピアノ上手かもしれない」と
それで、練習しないのにピアノは大好きになっていきました。
私が褒めてもらえること、得意なこと。
まだ他の習い事の経験もない時だったので、初めて出会えた自分の特技として、小さいながらも誇らしかったのでしょう。
ピアノを教えている今、この初期段階で要領の良い子と悪い子の差を感じることが多々あります。
どうしてあげたらいいのかと思うほど、毎レッスンリセットされてしまう子も・・・
でも、習い始めたまだ小さい頃のこの差は、そんなに悩むことではなくて、ここで「理解が遅いから苦手なんだ」と思わせないことがとても大切。
そして、理解の早い子には褒めることももちろん大切ですが「もっと上手になるために出来ることがあるよ」と教えてあげることが大切。
変な言い方かもしれないけれど、褒めて満足感だけで満たすのは、より成長できる機会を奪ってしまうような気がしています。
初めに覚えが悪くて毎回泣いていた子が、後々ぐんと伸びて思った以上に長く通ってくれたり、センスあるなと思った子がスポーツがやりたいからと辞めてしまったり・・・
何でも早く覚えて何も言わなくても感覚的にできてしまう、そんな子が上手になっていくとは限らないのが、ピアノや楽器のおもしろいところなのかなと教えていて感じることがあります。
話が脱線しました💦
そして、小学生になり、教室を変わることになります。
新たな先生と同教室のお姉さんたちとの出会い
小学生になり、保育園での教室が閉講になってしまい、新しい教室に通うことになりました。
またまた近所なのですが、今、私はそこで週1講師としてレッスンをしています。
小1から中2まで通った教室。
黄色のド派手なヤマハの教室で、新たな先生のもとでのレッスンが始まりました。
この新たな先生は、今もお世話になっている教室の代表。
とてもアグレッシブで、普通のことが嫌いな方で、今はピアノから離れてオカリナでのボランティア活動を熱心にされています。
私が習っていた当時も、発表会でアンサンブルやバンド演奏、ミュージカルを組み込むなど、チャレンジ精神旺盛な方でした。
私はピアノソロだけでなく電子オルガン3台でのアンサンブルを何度がさせていただき、習っていた時間帯の近かった3つ4つ上のお姉さんたちと演奏することも。
この時、先生が熱心にお姉さんたちを音楽を学べる中学(私の母校)に誘っていたのを聞いて、まだ3年生くらいの私はひそかに中学受験を目指し始めるのでした。
ヤマハの教室で推奨されていたピアノ演奏グレードの取得。
私も必然的に勉強することとなり、演奏だけではなく即興、理論的なことを学ぶようになったころには「私はピアノの先生になる」その思いは固まっていたのです。
先生のもとで、初めてコンクールにも挑戦しました。
上手な子はたくさんいる・・・
そう実感しながらも、当時の私はコンクールの緊張感と出られる喜びを感じて、人前で弾くことにどんどん魅力を感じるように。
先生と出会って、お姉さんたちへの勧誘を聞いて、ピアノの先生を目指すための進学の道筋が私の中で明確になったのは明らかでした。
ピアノの先生になりたいと思った理由
私がピアノの先生になりたいと思った理由は、大きく分けて2つ。
- 成功体験
- 憧れの先生との出会い
細かくはまだまだたくさんありますが、この2つは私に限らず夢を持つこと、何かを志すことに不可欠な要素だと思います
ピアノは私にとって初めての成功体験
小さい頃は、何が得意で何が苦手なのか、親御さんにも本人にもわかりません。
だって、チャレンジしたことがないのだから。
それを見つけるには、気付いてあげるには、とにかく色々やってみるしかない。
私にとってピアノは、物心ついた自分が初めて心に刻んだ成功体験だったと振り返って思います。
「先生が褒めてくれた」
「お友達のお母さんが上手といってくれた」
「コンクールで賞を取れた」
もちろん全国、世界につながるようなレベルでは全くありません。
でも、私が出会った初めての得意だと思えることが、ピアノだったのです🎵
誰かと比べる必要はなく
ただ、自分に誇れること。
それが、私にとってピアノでした。
色々な習い事をするのは、色々な成功体験から自分を誇れるようになるためでもあると思っています。
何が得意なのかは誰にも予測できないから、手あたり次第やってみる。
合わなければ次に行けばいい。
習い事を「いろんなことをかじって知識をつけてあげたい。なんでもそつなくできる子に・・・」
そんな思いで本人の意思とは関係なく詰め込む親御さんもいますが、私は正直、チャレンジは良いけれど合う・合わないで取捨選択していく必要はあるかなと考えます。
今の子どもたちは忙しすぎて・・・
習い事の断捨離をしてあげてほしい、そんな風に思うことも多々あります。
忙しくし過ぎると、せっかくの成功体験が苦手に埋もれることがあるんですよね。
それはすごく勿体ない💦
キラキラした成功体験を心に刻むことがどんなに大切か、それが今後の人生にとってどんなに重要か。
私は、子どもの頃の成功体験としてピアノと出会えたこと、その過程で協力してくれた家族や先生、同じ教室のお姉さんやお友達にとても感謝しています。
憧れの存在との出会いは人生において必須
お師匠様との出会いは必須。
誰かへの憧れは、前に進む大きな力になる。
それは今でも感じることです。
小さい頃はそれが先生だったし、今では年下のピアニストや先生に尊敬や憧れを抱くこともあります。
その度に、改めて自分がピアノが好きであることを認識し直して「もっとこうなりたい」と強く思う。
ピアノを通して、憧れの先生、憧れのピアニスト、憧れの同世代の演奏者、色々な方に出会いました。
何かを目指す時、先を行く人が必ずいて、そこへ憧れることはその道を目指すのに必須なのだと思います。
だから、出会いは大切。
閉じこもっていては抱けない感情、それが憧れで、大きく未来を変えるもの。
初めてのピアノの先生、そして今も教室のオーナーと講師という関係で続く2人目の先生との出会い。
そこから中学生になって、さらに素晴らしい先生方との出会いがありました。
習い事って、子どもが素敵な大人に出会える場でもありますよね。
そう思うと、今自分がやっているピアノの先生というお仕事に非常に責任を感じます
いや、責任重大なお仕事なんです、子どもたちの成功体験、未来への可能性を担っているのだから。
ピアノを始めたきっかけと夢を持つまでのお話でした
私がピアノを始めたきっかけと、ピアノの先生を夢見るまでのお話をさせていただきました。
きっかけは、正直なんでもいい。
私だって、自発的にどうしてもピアノが習いたいと懇願したわけではありませんでした。
何が自分の心に刺さるかは、やってみないとわからない部分が大きいのです。
そして、それが成功体験や憧れの対象との出会いであれば、その先に大きく道が開かれることがある。
そんな風に思います。
もし、近所のお友達が習い始めなかったら、私はピアノに出会っていただろうか・・・
もし、アグレッシブな先生と出会っていなかったら、音楽の道を志していただろうか・・・
今の私につながる全ての出会いに、感謝しかありません。
ピアノを今から始めようと思う子どもさん、始めさせたい親御さん、ピアノが上達することだけを目的とせず、多くの成功体験と憧れの先生との出会いを得られるお教室を是非選んでくださいね
ご清覧ありがとうございました♬
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